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そもそも談義-そもそも「自由と平等」とは?-

2016/5/14(土)13:30-20:30

財団事務局が当日議事録として残しておいたメモを公開しています。

今回の議論のテーマは、「自由と平等」。

私は、これは近代がつくった概念だと認識している。
・古代は、個人で生きていくには厳しすぎる世界。群れから追い出されると死んでしまう。そのため「自由にしないでくれ」と願った。共同体の一員となり、その中で食料や世話を分配・分担した。このような狩猟採取民族は今でも地球上に存在している(有名なブッシュマン)など。食糧は粛々と分配される。欲張るより、群れから外れる方が怖い。

・中世になると、親権や王権を中心とした社会になった。初期のリーダーは、人々の信頼を得た人たち。しかし共同体が拡大するにつれ、権力も形成されてゆく。その共同体では、個人の生命や財産を守る権利は無視された。また、権力者はしばしばシャーマンを利用し、神の声を借りて権力を正当化した。

近代になると、親権や王権から、人権(個人の生命と財産を守る権利へシフトした。人権を守るために市民と社会は社会契約を結んだ。初期の国家は緩い社会で、国家の仕事といえば警察ぐらいだった(夜警国家)。
この緩い(最低限の管理をする)国家は、能力社会なので、格差が生まれる。平等は、自由を損ねる(社会主義)。
一方、自由社会は、不平等が生まれる。これは公平な社会とも言える。
自由(公平)と平等とは、交わりにくいもの。

◯自由とは?
大戦を経て、私たちは「権力=逆らえない、断れない、疑問を質問できない状態にさせるもの」と捉え、そこからの開放を目指した。
日本語の「自由」には2つの意味がある。
1つは、「Freedom」の自由、これは最初から自由な状態、無法で野蛮、安心できない世界を指す。
もう1つは、「Liberty」。これは権利が剥奪された不自由な世界から開放された自由。英語の語源「Liberus」(解放奴隷)。
近代社会が目指したのは、後者であるはずです。ここから自由は与えられるものではなく、自ら取りに行くものだと考えられるのであないでしょうか。

◯不自由とは?
不自由と感じている方は、何が不自由なのか?を考えてみてください。金(経済)でしょうか、仕組み(政治)でしょうか、それとも人間関係(社会)でしょうか?
また、それは個人の自由意思で増幅できないのでしょうか?
私たちは、人類史上初めての社会を迎えています。衣食住が足りても、不幸を感じる人がいます。精神的飢餓の発生ですね。

上記を踏まえて、参加者がグループになり話し合いを行いました。
・A班
「そもそも私たちは自由を欲しているのか?」
→欲していない気がする
「個人の問題なのか?」
→一人ひとりが個人の問題と捉えることからしか始まらない
「市民社会は市民社会を超えられるのか?」
→わからない

・B班
「自由とは?」
→そんなに不自由だと感じていないこと=選択をすること、楽をすること、それが自由であると勘違いしている
→それは実は不自由なことではないか?
「ではどうすればいいか?」
→自由とは、つくっていくこと。与えられる自由から選択するのではなく、自分が考えること。
「平等とは?」
→わからない。が、考え続けること、作り続けること。
自由と平等がリンクしている感覚はあまりない。

・C班
「大学に迷っている友達がいる。」自由は問題とは不自由なのではないか?
→自由とは、どれだけ自分に決定権があるか。
※大工さんの仕事は、個人の技能で仕事が得られるから自由。もしそれ以外の要素が必要になれば不自由になる。
「家族を持つことは、決定権が下がるので不自由になるのか?」
→違う気がする。
高校で年齢・性別関係なく議論する場がある。引き続き議論したい。

・D班
個人の意識やモラルが必要なのではないか。日本は宗教アレルギーが大きいが、個人の欲望の肥大化が格差社会を生んでいるのでは。
格差社会というが、税金配分後に格差が開いている場合もある。下層の人に不安や恐怖を招いているのでは。
結社の自由がない国に比べれれば、自由な国になったが、ネット社会になり、市民が暴力を行使することができる。暴力性をはらんでいる。
国家がなくなり、共通規範が成立するのが理想だが、できるのか?壮大すぎてわからない。
ここ京都からわかちあいコミュニティがつくれないか。

以上のような発表があり、今回のそもそも談義ではそもそも「自由と平等とは?」という問いに対して以下のようにまとまりました。

・今、我々は「自由と平等」を冒す市民社会を作ってしまった。被害者であり加害者である。
・個人の自由と平等の中間にあるものとして、感動を共感でき、不安を共有できる共同体。
・私が私として、自由に思考し、行動言動できる共同体。不安や弱さを分かち合える共同体。
・国民国家から志民共同体へ